まるでドキュメンタリーのように見える劇映画を撮ってみたい——徐童(2/2)

徐童

 

——ところで、昨年末東京に来たとき、劇映画を撮りたいと言っていましたね。

徐童 ちょうど明日から視察に行くところなんです。題材によさそうな所があるというので、出資者と一緒に見に行ってきます。映画になりうるのか、どれくらいの規模になるのか、全てはこれからです。

以前はずっと、『収穫』をフィクションでリメイクしようと考えていました。あの作品はいろいろな理由で上映の機会が限られているのですが、フィクションであればより多くの人に観てもらうことも可能です(『収穫』は被写体のプライバシーの問題から、国内ではこれ以上上映しないことになっている)。

ただ、出資を探す上で困難がありました。脚本も書いて見せたのですが、やはり検閲を通らないことを心配されたり、いろいろな注文をつけられたのです。もちろん、それは理解できます。最初は「いい作品さえ作れればそれで良い」と言っていても、次第に劇場公開させることを条件にしてくるものです。結局は諦めざるを得ませんでした。その脚本は今でも手元に置いています。今後機会があれば撮りたいと思っていますが、先に他の作品を撮ることになるでしょう。

——次は劇映画を撮りたいと考えているわけですね。

徐童 劇映画なら、ドキュメンタリーでは実現できないことを映画にすることができます。これまで何本かのドキュメンタリーを撮ってきて、いつも残念に思うことがあったんです。自分ではコントロールできないことが多いですから。

それに、自分がデザインしたものを作品にしたいという考えも生まれました。ドキュメンタリーの制作過程は、登場人物と一緒に過ごして、撮影をし、編集をするというものですが、そうした受動的なものでなく、もっと能動的に自ら考えたものを形にしたいと望むようになったのです。

劇映画は、自然のままに見えて、そのすべてが作りこまれています。中国映画、特にインディペンデント映画は、そのあたりが徹底していなくて、例えばメインじゃないキャストなどは重視されていません。このあたりで監督やスタッフの力が試されます。

私は劇映画を撮ったことはありませんが、ドキュメンタリーを通じて、どのように撮ればより自然で印象的かをトレーニングしてきました。まるでドキュメンタリーのように見えて、実は全てデザインされたものである、という劇映画を撮ってみたいです。