ドキュメンタリーを自画像として捉えるのがとても面白いと…——章梦奇(1/2)

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中国で最初にインディペンデントでドキュメンタリー映画を作ったことで知られる呉文光(ウー・ウェングアン)は、10年ほど前から北京郊外で「草場地ワークステーション」を運営している。近年ここで行われている主な活動は、「民間記憶プロジェクト」というもので、1960年前後に中国全土で起こった 大飢饉の記憶を農村にいる老人たちに語ってもらい、それを映像に撮って集め、データベース化するというものだ。多くの若者がプロジェクトに参加し、映像資料を撮っている。だが、ここにいる若者たちの目的はそれだけでなく、ここで集団生活をしながら自主的にドキュメンタリー制作と舞台パフォーマンスを学び、 自分たちの作品を国内外で発表している。

章梦奇(ジャン・モンチー)もそんな若者の一人である。もともと大学で舞踊を学んでいた彼女は、草 場地ワークステーションの仲間たちと各地の舞台でパフォーマンスをする傍ら、ドキュメンタリー映画をコンスタントに作り続けている。初作品『三人の女性の 自画像』は2011年に山形国際ドキュメンタリー映画祭でも上映された。今年9月には呉文光監督とともに来日し、東京で原一男監督が主宰する「new『Cinema塾』」に参加する予定だ。

 

——まずこの草場地ワークステーションに来た経緯から教えて下さい。

ここに移って来たのは2008年の12月でした。それ以前、私が大学に在学していた時に、ここで若手の舞台演出家を育成するプロジェクトをやっていて、私の友人が参加していました。私はその舞台に俳優の一人として参加し、ここの存在を知ったんです。その後も、ここでパフォーマンスのイベントがある時には毎回来ていました。それで、呉先生から「生活舞蹈スタジオ」に参加しないかと声をかけられました。その時の俳優たちは家庭があったり、作家だったり、いろんな人たちがいて、私が最年少でした。私はちょうど大学を出たばかりで住むところもなかったので、ここで暮らすことにしたんです(笑)。

——当初は俳優志望だったということですか。

ええ。ここが創作をする場所だとは知らなかったんです。当時は就職しようとも思っていなかったし、初めて舞踊以外の分野の人たちと知り合ったばかりで、興味を感じていました。ここが創作とかドキュメンタリーを作る場所だということは知らないまま、ただ落ち着いて暮らせる場所があると思って来たんです。

最初の年はドキュメンタリーも撮っていませんでした。自分でも何をすればいいか分からずにいたんです。その時は、呉先生から舞台演出のプロジェクトがあるから参加してみたらどうだと言われて、2つの舞台をやったんですが、それからいろいろ自分でも思考するようになりました。ちょうどその舞台で映像が必要だったので、母親にカメラを送って自分で撮ってもらったり、母親にインタビューしたりしていました。そのカメラもあったし、ここでドキュメンタリーの制作をしている人たちの姿も見ていたので、自分でも母や祖母を撮ってみようと思うようになりました。だから、映画を撮ろうと意識したのは2009年から2010年にかけてです。

——それが『三人の女性の自画像』になるわけですね。三代の女性というテーマはどこから?

当初はハッキリした テーマはなくて、とにかく母を撮ろうと思っていました。私たちは湖北省の祖母の家で撮っていたので、祖母も撮るようになったんです。最初は祖父も撮っていましたが、無意識にだんだん撮らなくなっていました。潜在意識の中では、方向は定まっていたのかもしれません。ただ、三代の女性というテーマは編集段階でまとまったものです。

この作品では自分のパフォーマンスの映像も使っています。以前に舞台の記録として撮っていたものもありますが、映画用に改めて演じたものもあります。

これは舞台の延長上にある作品でした。舞台というのは簡潔で、何も無い中から、体ひとつで作り上げていきます。ある一つの事柄を、最も相応しい方法で語るのです。それに対して、映画は多くの材料が必要になり、その材料をどう使うかということを考えなければいけません。自分でも、こうした映画を作るとは思ってもいませんでした。