ドキュメンタリーを自画像として捉えるのがとても面白いと…——章梦奇(1/2)

 

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——ワークステーション全体の活動としてドキュメンタリーを作ったわけではないのですね。

ごく個人的に作っていました。でも、2010年にここでスイスの監督を招いたドキュメンタリーのワークショップをすることになっていたので、それに参加したいとは思っていました。当時ここでドキュメンタリーを作っていたのは、私と鄒雪平(ゾウ・シュエピン)の二人だけでした。編集のときは私と彼女で編集ノートを作って、いつも互いの考えを語り合いました。呉先生は時々やってきて、映像を見るくらい。今のやり方と似ています。今は話し合う仲間が増えましたが。

その年のワークショップでは散々でした。初めてドキュメンタリーに取り組んで、慣れていなかったこともあり、楽しい場面をつないだだけのホームビデオになっていたんです。スイスの監督は大らかな人でしたが、呉先生は渋い顔をしていました。以前の舞台にあったパワーがまったく伝えられていなかったんです。非常に失望したと言われて(笑)、すぐに編集し直しました。

——この作品で、自分自身を撮ろうと思ったのはなぜですか。

いろんな人から聞かれます。普通はドキュメンタリーでは他人を撮ることが多いでしょうね。ただ、私はドキュメンタリーについて何の概念も持ってなかったんです。この作品を撮るまで、私は1本もドキュメンタリー映画を観たことがありませんでした。

作る中で最初に影響を受けたのは、呉先生が天津美術学院で講義をしたときに語ったことです。「公共空間」と「自画像」という2つのテーマについて話していて、私はそばで聞いていたのですが、ドキュメンタリーを自画像として捉えるという考え方がとても面白いと思いました。

映画そのものは、昔から好きでよく観ていたんです。大学の時に仲が良かった友達が映画好きだったので、私もいっしょに観ていました。それに、私が小さかった 時、海南島の歌舞団で生活していたんですが、歌舞団の劇場があって、そこは映画館でもあったんです。歌舞団の家族は誰でも映画を無料で観ることができたので、私もよく行って観ていました。もっとも、プロパガンダ映画とかが多かったですけど……。まさか自分が映画を撮るようになるとは思っていませんでした ね。

——2本目は「民間記憶プロジェクト」に関する映画ですね。

2011年で、ちょうど「民間記憶プロジェクト」が始まった時でした。故郷でインタビューをするということで、私もその年の夏にインタビューを撮りました。ただ、自分のドキュメンタリーとして撮り始めたのは冬になってからです。

——「民間記憶プロジェクト」のインタビューというのは、何を撮るのですか。

決まったフォーマットは無いのですが、老人たちにカメラに向かって正面から話してもらい、それをバストショットで撮るということと、背景はその人の生活空間にするということだけ決めていました。質問は決まったものは無くて、「飢餓の三年」について臨機応変に聞くということにしていました。

そもそもこのプロジェクトは、舞台から派生したものでした。以前に呉先生たちの『メモリー』という舞台があって、それは文革についての記憶なのですが、今度は飢餓の三年の記憶についての舞台をやろうということになり、その素材として映像を各自撮ってくることになったんです。私もその舞台に参加するためにインタビューを撮りました。そのとき撮った素材を皆が持ち帰って見直した時に、これは非常に重要な資料で、データベース化すべきものだと感じたんです。

こうして、その年の終わりにかけて、徐々にプロジェクトが出来上がっていきました。最初は「飢餓プロジェクト」と呼んでいましたが、「民間記憶プロジェクト」に変わり、飢餓の三年だけでなくいろんなことを語ってもらうようになりました。

——そのプロジェクトから、どのようにして各自が個人のドキュメンタリーを撮ることになったのですか。

舞台のリハーサルというのが、それぞれが撮った映像を見返しながら、自分の話をするというものでした。舞台そのものは老人の話ではなくて、自分たちが村の老人たちとどう接していくかという話なんです。このときに自分なりの考えが生まれていました。そして年末になってもう一度帰省するときに、それまでの話を基に、自分の物語を映像に撮ることにしたんです。夏はインタビュー映像だけで、自分のことは撮っていなかったわけですが、後になって、自分たちがどうやって老人たちと接し、老人たちがどんな反応を示し、自分はどのように過去の歴史を理解したか、ということの方がもっと面白いと感じたわけです。

——その後も、このやり方でドキュメンタリーを作り続けていますね。

今、このプロジェクトは私たちのメインの仕事になっています。ひとつの村でも、撮るべきものは非常にたくさんあります。それに今はただ村で起こっていることを記録しているだけではありません。村に入って行って、老人に贈り物をしたり、子供たちを率いて指導したり、図書室を作ったりと、彼らの生活に入り込んで村に変化を起こそうとしています。こうして毎年起こしている自分たちの行動の経過や結果を、映像に捉えていて、それが創作になっているんです。毎年それを続けていて、みんなも相応しいやり方だと考えているわけです。