ドキュメンタリーを自画像として捉えるのがとても面白いと…——章梦奇(1/2)

 

——平行して行う舞台の活動も、村での活動に則したものになっています。

はい。舞台は2種類あります。1つは全体でやっているパフォーマンスで、1年目は「飢餓」、2年目は「墓碑」、3年目は「ゴミ」というテーマで、集団でパフォーマンスをしました。もう1つは個人でやるパフォーマンスで、1人1時間の舞台です。

「飢餓」の当初は呉先生と文先生(呉文光夫人で舞踏家の文彗)が演出をしていましたが、途中から演出家という肩書はなくなって、私たちが自分たちで演出するようになりました。毎日リハーサルを重ねながら、自分たちで考えていきます。ドキュメンタリーを編集している時は独りでパソコンに向かっているわけですが、 舞台を作るときは皆で物語を分かち合い、連日討論を重ねます。それぞれの村の事情もわかってくる中で、皆に共通のテーマを見つけ、方向性を決めていくのです。それがドキュメンタリーにも反映されていきます。

——昨年みなさんが作ったドキュメンタリーには、どの村でもゴミを拾う場面がありますね。

各自状況は違います。常に子供たちを集めてゴミ拾いをしているのは鄒雪平で、私は1日やっただけです。ただ、最終的にこれをテーマに選んだのは、単に環境問題としてのゴミではなく、自分たちが何かをしようとしたときの周囲の反応や、村民からの反対、子供たちの親の不理解、そうしたことを伝えたかったからです。

それぞれ作品の内容も違います。鄒雪平の作品はゴミに特化していて、タイトルも『垃圾的村子(ゴミの村)』といいます。他の人は作品の中にゴミのことが少し出てくるだけです。統一されたテーマより、各自が自分でやりたいことを優先しています。

私は一昨年から村に図書室を作り始めました。その後、図書室が完成し、当初は本も少なかったですが、やがて多くの友人たちが本を贈ってくれました。村人たちは必ずしも喜んでいるわけではなく、どうせ本を読む時間なんて無いという人も多いですが、子供たちはよく読んでくれています。大人たちは子供に知識を増やすことより、お金を稼げる人になって欲しいと考えているようで、その点は難しくはありますが……。去年からは、他の仲間たちも自分の村で図書室を作り始めています。それぞれが自分なりの方法を探し、いい方法があれば他の人もそれに習うようにしています。

——編集についても、皆さんで話し合うんですか。

常に話し合っています。私たちは「慢談」と呼んでいるんですが、毎日1時間ずつ、撮影の中で自分の身に起こったことなど何でも話しています。これは情報交換でもあります。そして更に一歩進んで、長時間の素材の中から作品の核となるものをどう見つけるか、そういうことを話し合います。

編集段階での話し合いの方が、撮影前の話し合いよりも多いです。撮影前は、何を撮るかというよりも、村で何をするかを中心に話します。たとえば老人のための基金があ るのですが、その金をどのように分配するかなど、具体的なことです。ドキュメンタリーの創作について話すのは、撮影が終わってからです。

(つづく)

 

章梦奇(ジャン・モンチー)

1987年生湖北省まれ。中央民族大学舞踏学院卒業。草場地ワークステーションのメンバーとして舞台でのパフォーマンスに参加する傍ら、個人によるドキュメンタリーを発表。ドキュメンタリー作品は『三人の女性の自画像』(2010)、『自画像:在47公里(原題)』(2011)、『自画像:47公里跳舞(原題)』(2012)、『自画像:47公里做梦(原題)』(2013)がある。