まるでドキュメンタリーのように見える劇映画を撮ってみたい——徐童(2/2)

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——いつごろから劇映画を撮りたいと思い始めたんですか。

徐童 ドキュメンタリーを撮る前からありました。もともと観ていた映画は劇映画ばかりでしたから、映画を撮りたいと考え始めた当初も、自然と劇映画を考えていました。様々な理由からドキュメンタリーを撮るようになりましたが、それからも劇映画を撮りたいという願望は常にあったんです。

今は内モンゴルが面白いんじゃないかと思っています。内モンゴルでは、ゴビや草原が広がる中で、人々がシンプルな生活をしています。彼らに演技をさせたら、ごく自然に普段の姿が出てくる気がします。私は演技を知っている人の表現ではなく、その人らしさが滲んでいるものを撮りたいんです。わざとらしく見えないものを。

これは私のドキュメンタリー作りにも共通していることです。私は社会の下層にいる人たちを撮ってきました。こうした人々を題材にしたインディペンデント映画は、中国にたくさんあるし、今も作られています。でも、この人たちがカメラの前で、言葉にしろ動作にしろ、どれだけ自然で、嘘のない、生き生きと自分を表せているかと言えばどうでしょう。私はドキュメンタリーでそれを追求してきました。劇映画でもそれを実現できたら面白いと考えています。

中国映画では、人物の日常風景が生き生きと描かれているものが非常に少ないと感じます。演じられた途端、台詞を言わされているような感じになってしまう。これは監督の力量が及ばないからです。インディペンデント映画は特にそうです。素人の俳優を使うのであれば、その人の本来の姿を最高の環境の中で活かそうという意識が必要です。でも、監督がイメージするいろんな人物像をその人に背負わせて、本来の姿から離れるので、違和感が出てしまいます。

中国映画でその点が最も上手く描けているのは『一瞬の夢』(賈樟柯、1997)でしょう。非常に写実的で、観る人にまったく違和感を感じさせません。まるでドキュメンタリーを観ているかのように、そのまま入り込むことができる。これは俳優を熟知した生活環境の中に置き、適切なカメラワークで追っているからで、だからこそ傑作になったわけです。この映画は現代中国映画の中で、抜きん出た存在だと思います。最近は彼の作風も変わってしまいましたが。

私がドキュメンタリーを撮っているせいかもしれませんが、海外の映画でも、その国の人の姿を感じることができる映画が好きです。まったく違う土地の生活を理解する上で、映画は非常に役に立ちますよね。短いニュース映像では、例えばイランの人たちがどんな暮らしをしているのかを知ることはできませんが、映画なら日常の風景、そして彼らの情感を感じることができます。その国の男が、どんな風に女を愛するのか、そんなことも見えてくる。

低予算でいいから、そうしたものを伝えられる映画を撮りたいです。ドキュメンタリーでもある程度それは可能ですが、劇映画のほうがより強力だと思うんです。劇映画のほうが注目を集めるというのもあります。中国のドキュメンタリー監督で、海外から注目をされているのはごく少数です。苦労して良い作品を作っても、それが人々に届かない。それは単に政治的な理由だけではなく、ドキュメンタリーの限界もあると思うんです。

——確かに、うちの映画祭でも、劇映画に比べてドキュメンタリーの観客は全体的に少ないですね。

徐童 そうです。ストーリーに興味を持つ観客が多いからです。文学でいえば、詩よりも小説のほうが好かれるのと同じです。良い例えではありませんが、ドキュメンタリーはいわば詩で、劇映画は小説に近いと言えるでしょう。劇映画がどれほどのものか、試してみたいです。

 

徐童(シュー・トン)

1965年北京市生まれ。中国広播学院(現・中国伝媒大学)でニュース撮影を学ぶ。カメラマンなどを経て2008年に初のドキュメンタリー映画『収 穫』を発表。高い評価を受けるとともに、国内ではドキュメンタリーにおけるプライバシーの扱いについて物議を醸す。社会の下層に生きる人々をテーマにした 作品を撮り続けており、作品はほかに『占い師』(2010)、『唐爺さん』(2011)、『四哥(原題)』(2013 )がある。2013年には小説「珍 宝島」を出版した。